無教会キリスト教Blog~神なき者のための神、教会なき者のための教会~

無教会主義というのは教会不要論ではなく、建物なき教会、壁なき教会、儀式なき教会、聖職者なき教会です。内村鑑三によって提唱されました。それはイエス・キリストを信じ、従うという心のみによって成り立つ集まりです。 無教会主義は新約聖書のパウロによる「恵みのみ、信仰のみ」を徹底させたもの、ルターによる「万人祭司」を徹底させたもの。無教会主義の立場から、宗教としてはおさまりきらないキリスト教の社会的可能性、政治的可能性、 哲学的可能性を考えます。

はじめに

福井県在住の無教会主義のクリスチャンです。


無教会主義というのは教会不要論ではなく、建物なき教会、壁なき教会、儀式なき教会、聖職者なき教会です。内村鑑三によって提唱されました。それはイエス・キリストを信じ、従うという心のみによって成り立つ集まりです。


無教会主義は新約聖書パウロによる「恵みのみ、信仰のみ」を徹底させたもの、ルターによる「万人祭司」を徹底させたものです。


プロテスタントはその発祥からして本来は無教会主義でありました。ところが一部の教派や教会においては信仰のエリート主義、選民主義の傾向がみられるようになりました。そうした教会は、自身の召命を見失ってイエスを十字架へと追いやったパリサイ主義へと堕してしまったのです。


キリスト教は過去のユダヤ教におけるパリサイ主義、信仰のエリート主義を批判して神の普遍的な愛(アガペ)の観点から信仰を民主化することによってはじまりました。キリスト教の教会は教会なき者のための教会であり、キリスト教の神は神なき者のための神であります。


イエス・キリストにおける神の愛(アガペ)は万民に及ぶがゆえに、神もキリストも教会も、信仰も義も救済も限られた人間の所有物ではなく、万民のものです。


このブログはこのような無教会主義の観点から、聖書の本義に肉薄してキリスト教とその教会の在り方を検証してゆくブログです。