無教会キリスト教Blog~神なき者のための神、教会なき者のための教会~

無教会主義というのは教会不要論ではなく、建物なき教会、壁なき教会、儀式なき教会、聖職者なき教会です。内村鑑三によって提唱されました。それはイエス・キリストを信じ、従うという心のみによって成り立つ集まりです。 無教会主義は新約聖書のパウロによる「恵みのみ、信仰のみ」を徹底させたもの、ルターによる「万人祭司」を徹底させたもの。無教会主義の立場から、宗教としてはおさまりきらないキリスト教の社会的可能性、政治的可能性、 哲学的可能性を考えます。

キリスト教と同性愛

同性愛に否定的なクリスチャンは、その根拠を主にパウロの手紙と旧約聖書の一部から引用します。聖書が神の言葉だからという信念からでしょう。 たしかに、パウロの手紙には男色への批判がいくつかみられますし、ユダヤの伝統では同性愛は禁じられていました…

民衆のアヘン

「資本論」を書いたカール・マルクスが「ヘーゲル法哲学批判・序説」という本のなかで「宗教は民衆のアヘン」という有名な言葉を残しています。 「アヘン」というのは、いうまでもなく麻薬のアヘンですが、ここでいうアヘンとは、重に鎮痛剤という意味でのア…

「GOD」が偶像となるとき

唯一の神を信じるクリスチャンは偶像崇拝と無縁なのでしょうか? そうではありません。 キリスト教は、厳密には神を信じる宗教ではなく、神の言はナザレのイエスによって啓示された、ということを信じる信仰です。 それゆえ、キリスト教はナザレのイエスの言…

自分を愛するために自分を捨てる

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。人が全世界をもうけても、自分…

難民たちのメリークリスマス

クリスマスによく引用されるのはルカ福音書の聖誕物語ですが、マタイ福音書を読んでみましょう。 マタイ福音書では、ヘロデの暴政を逃れてエジプトへ渡るイエスの家族が書かれています。 イエスの家族は難民だったのです。 このことはあまり語られません。な…

誰が平和を語るのか

平和が大切であって、分派や党派争いはよくない。これは聖書的にも真実であるどころか、宗教に限らず普遍的な真理です。 しかし、それは平和を誰が語るかによります。 独裁者が「争いを止め、平和を求めましょう。分派や党派による分裂はよくありません」と…

神の存在は証明されず要請される

神の存在や死後生の存在は証明できません。それは検証できないからです。 言葉の理屈の上では説得力のあるように神の存在や死後生の存在を「もっともらしく」語ることもできます。しかし、逆に神が存在しないこと、死後何もないこともまた理屈で「もっともら…

死後生についての哲学的考察

人は死んだらどうなるのでしょうか? 天国か地獄に行くのでしょうか?生まれ変わって別の何かの生を生きるのでしょうか?それとも、霊的な存在になって世界を自在に飛びまわるのでしょうか? 様々な宗教が様々な答えを用意してきました。実際のところは誰も…

三位一体

三位一体というのは、唯一の神には父、子、聖霊の3つの位格(ペルソナ)があるというキリスト教の教理です。 神は3つだが1つというこの考え方は、しばしば「キリスト教は多神教ではないか?」という疑念をもたれてきました。 今でもユダヤ教やイスラム教…

クリスチャンの誤解~神に近づく~

多くのクリスチャンが誤解していると思うのは、人が神に近づくのはプラスによってではなく、むしろマイナスによってだということです。 プラスによって神に近づくこと、それは教会に通い、礼拝を行い、聖書をたくさん読み、たくさん祈り、慈善活動をたくさん…

はじめに

福井県在住の無教会主義のクリスチャンです。 無教会主義というのは教会不要論ではなく、建物なき教会、壁なき教会、儀式なき教会、聖職者なき教会です。内村鑑三によって提唱されました。それはイエス・キリストを信じ、従うという心のみによって成り立つ集…