無教会キリスト教Blog~神なき者のための神、教会なき者のための教会~

無教会主義というのは教会不要論ではなく、建物なき教会、壁なき教会、儀式なき教会、聖職者なき教会です。内村鑑三によって提唱されました。それはイエス・キリストを信じ、従うという心のみによって成り立つ集まりです。 無教会主義は新約聖書のパウロによる「恵みのみ、信仰のみ」を徹底させたもの、ルターによる「万人祭司」を徹底させたもの。無教会主義の立場から、宗教としてはおさまりきらないキリスト教の社会的可能性、政治的可能性、 哲学的可能性を考えます。

2021-01-01から1年間の記事一覧

貧者の福音

「盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。」 (マタイ福音書11:5) この世の貧しい人々は言います「私には富もない。美しさもない。才能もない。力もない。何もない。誰も私を…

「信仰」についての誤解~区別または差別される求道者について~

キリスト教の教会には「求道者」と呼ばれる人々がいます。彼らは教会に通い、聖書を読み、キリスト教に関心があるが、いまだ洗礼を受けていない人々です。彼らをもクリスチャンに含める教会もあり、含めない教会もありますが、一般的には、洗礼を受けて正式…

あらためて「無」教会について~生けるキリストと野生のクリスチャン~

「また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実…

ゆるし

キリスト教は愛と「ゆるし」の宗教だといわれます。 しかし、キリスト教に馴染みのない人々は「許してしまったら、悪はどうなるのか?野放しにされた悪はますます増長するのではないか?」と疑問に思います。そこで、あるクリスチャンは「いや、許されるのは…

神の「完全」は十字架の「弱さ」によって啓示される

最近、あるメンタリストを名乗るインフルエンサーが差別的な発言をして炎上し、あらゆる方面から批判を浴びるという出来事がありました。 彼いわく、「ホームレスの命はどうでもいい」「ホームレスのために税金を使うくらいなら、かわいそうな猫のために税金…

キリスト教と政治~生産性は悪か?~

前回のブログで、「生産性」への信仰が現代の偶像崇拝となっていることを書きました。 しかし、では生産性は悪なのでしょうか? 次のような反論が考えられるでしょう。「生産性が悪ならば、企業はどうなるのか? 生産性を上げて価値を生み出し、業績を上げる…

精神障害、発達障害などの「障害」について

いつの時代、どこの場所でも、普通と違った変わったことを話し、変わった振る舞いをする人々はいました。 彼らは「変わった人」としてコミュニティから浮いた存在ではありましたが、多くの場合にはコミュニティのなかで立ち位置を得て日常の風景のなかに溶け…

「わたしの隣り人とは誰か」

「すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。」(ルカ福音書10:29) キリスト教は一般的に隣人愛の宗教と呼ばれます。その意味で、社会で起こる貧困問題や悲劇に対して無関心ではいられま…

原罪~正しい者はいない。ひとりもいない~

「原罪」というのは、人間は産まれつき悪を内包しており、自分の意志に関わらず罪を犯すことから逃れられない存在だという意味です。 もちろん、ここでいうところの「罪」とは、政治的な法に関わる罪ではなく、宗教的、倫理的な罪のことです。 人間には「自…

キリスト教パリサイ派

新約聖書において、神の国は婚宴や宴会などにたとえられます。それは喜びの時なのです。 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負…

キリスト教と民主主義~神の絶対性~

私たちが知っている民主主義は西欧から始まりました。それも、とりわけ「神の絶対性」を強調するカルヴァン派の流れから始まりました。 なぜ、「神の絶対性」という「唯一神の独裁」を思わせるようなことが、民主主義を押し進めてきたのでしょう? これは歴…

キリスト教と民主主義~聖霊の口を封ずるなかれ~

「すべての人は平等」というのは、私たちにとって当たり前の真理であり、規範です。しかし、これはキリスト教の歴史のなかで生まれ、育てられてきました。 もちろん、歴史をみればキリスト教の国や文化のなかでは人種差別、性差別、奴隷制があったことは事実…

キリスト教と同性愛

同性愛に否定的なクリスチャンは、その根拠を主にパウロの手紙と旧約聖書の一部から引用します。聖書が神の言葉だからという信念からでしょう。 たしかに、パウロの手紙には男色への批判がいくつかみられますし、ユダヤの伝統では同性愛は禁じられていました…

民衆のアヘン

「資本論」を書いたカール・マルクスが「ヘーゲル法哲学批判・序説」という本のなかで「宗教は民衆のアヘン」という有名な言葉を残しています。 「アヘン」というのは、いうまでもなく麻薬のアヘンですが、ここでいうアヘンとは、重に鎮痛剤という意味でのア…

「GOD」が偶像となるとき

唯一の神を信じるクリスチャンは偶像崇拝と無縁なのでしょうか? そうではありません。 キリスト教は、厳密には神を信じる宗教ではなく、神の言はナザレのイエスによって啓示された、ということを信じる信仰です。 それゆえ、キリスト教はナザレのイエスの言…

自分を愛するために自分を捨てる

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。人が全世界をもうけても、自分…