無教会キリスト教Blog~神なき者のための神、教会なき者のための教会~

無教会主義というのは教会不要論ではなく、建物なき教会、壁なき教会、儀式なき教会、聖職者なき教会です。内村鑑三によって提唱されました。それはイエス・キリストを信じ、従うという心のみによって成り立つ集まりです。 無教会主義は新約聖書のパウロによる「恵みのみ、信仰のみ」を徹底させたもの、ルターによる「万人祭司」を徹底させたもの。無教会主義の立場から、宗教としてはおさまりきらないキリスト教の社会的可能性、政治的可能性、 哲学的可能性を考えます。

路傍の石は叫ぶ〜いわゆる「わがまま」な障害者について〜

体や心のどこかにハンディキャップを抱える人々が、適切な配慮やサービスを受けられていないことを訴えると、「わがまま」として、たびたびバッシングを受けることがあります。 障害者を配慮する側だって余裕があるわけではなく、限られた時間と人材しかない…

イスカリオテのユダ

イスカリオテのユダとは、イエス・キリストの12弟子の一人でありながら、イエスを裏切って、イエスが十字架刑へと引き渡されるきっかけをつくった人物です。 「そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、あなたがたのうち…

愛について〜下降するアガペー〜

前回、エロースは上昇する愛だと書きました。 koji-oshima.hatenablog.com それに対して、アガペーは下降する愛だと言えるでしょう。エロースが下から上への上昇であるのに対して、アガペーは上から下へ向かって下降する。エロースが自己の空白(欠如)を満…

愛について〜上昇するエロース〜

キリスト教では、「愛」の概念について大きくふたつに大別されると思います。 人間的な欲望としての自己愛の「エロース」と、神の愛としての無償の贈与の「アガペー」。 日本で「エロース」というと、もっぱら性的な意味で扱われがちですが、本来の意味はも…

日本は多神教だから寛容?

日本の宗教観では、「すごい」ものや「すごい」人は皆「カミ」になります。 菅原道真から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康も「カミ」になり、漫画の神様、野球の神様、果ては「トイレの神様」に至るまで、人間の生活や社会に大きな影響を及ぼした存在は皆「カミ…

神のリベラル(自由)〜聖書による聖書原理主義批判〜

キリスト教会には、聖書に書かれている言葉の一字一句が神による霊感によって書かれたとして、その言葉の誤りなき無謬性を信じるグループがあります。彼らは、自分たちが聖書全体を通して啓示された神の言葉(福音)に忠実であることを表現して、彼ら自身を…

補説:精神障害、発達障害などの「障害」について〜「異常」なのは人間なのか?社会なのか?〜

以前、「精神障害、発達障害などの障害について」というブログを書きました。 koji-oshima.hatenablog.com 昨今、発達障害を含めた様々な「障害」についての報告を頻繁に耳にします。素朴な印象として、このように思うはずです、「発達障害というものを持つ…

ヒロシマ・ナガサキの原爆被害とキリシタン迫害

「ヒロシマ・ナガサキに落とされた原子爆弾は、戦争を早期終了させるための正しい選択だった。戦争が長引けばもっと多くの被害がでていた」という説を支持する人は、日本人のなかには、おそらくほとんどいないでしょう。 今でも戦勝国であるアメリカでは、数…

キリスト教と科学1

「Nature」というイギリスの科学雑誌があります。Nature(ネイチャー)とは日本語で自然という意味ですが、日本で「自然」というタイトルがつくような雑誌はどのようなイメージでしょうか? 科学雑誌というよりも、風光明媚な自然の美しさを紹介する美術雑誌…

牧師不要論(万人牧仕論)

最近、牧師や神父などの教会の聖職者・教職者のスキャンダルを頻繁に耳にするようになりました。 これは、そのような聖職者・教職者によるスキャンダルが最近になって増えた、ということなのでしょうか? 最近の聖職・教職に就く人間の質の低下がいちじるし…

召命(calling)〜貧困、幸福、そして人生の意味について〜

社会学者のエミール・デュルケムの著作に「自殺論」という本があります。 自殺というのは、社会の衰退期に増えるというのは常識ですが、実際は社会の上昇期にも増える。デュルケムは、この際の自殺を「アノミー型自殺」と呼びました。「アノミー」というのは…

怪獣大戦争~何が怪物を生み出すのか~

今年の夏、日本の政治史において最も長いあいだ総理の職をつとめた元首相が銃撃のすえに亡くなるという事件がありました。事件のあと、政治家たちが口を揃えて「民主主義への挑戦」といってテロ行為を批判するコメントを表明しました。 しかし、ここ10年間の…

無教会における「聖徒の交わり」の不在について

無教会への批判のひとつに「聖徒の交わり」の不在があります。 いわく、キリスト教の教会が、清濁合わせもつ 「麦と毒麦(マタイ福音書13:24‐30)」の混合であることは、はじめから前提とされていることで、クリスチャンに人間的な罪や悪が残っているとして…

無教会主義の問題~先生(教師)中心主義について~

無教会主義について調べておられるかたは、このブログが「無教会」と銘打っているにも関わらず内村鑑三や矢内原忠雄について語らないことを不思議に思われるかもしれません。 無教会といっても、伝統的なキリスト教とは別の教会があるわけではありません。内…

健全という病、救済という虐待、善意という傲慢

古い記事ですが、mixiに投稿されていた記事です。「人を健康にするという傲慢さ」というタイトルの記事です。 以下、引用 「人を健康にするという傲慢さ mixiユーザー2008年05月21日 14:50カウンセラーや臨床心理士を目指す若い方とお話をする機会が多いので…

「人権」がわからない

「◯◯な人には人権がない」というような発言をする人がいます。 「人権」というのは、属性に左右されないからこそ人権なのであって、人がただ人であるというだけで守られるべき権利です。属性に左右されるようなものなら、そもそもそれは人権ではない。 この…

神と富

「次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあな…

貧者の福音

「盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。」 (マタイ福音書11:5) この世の貧しい人々は言います「私には富もない。美しさもない。才能もない。力もない。何もない。誰も私を…

「信仰」についての誤解~区別または差別される求道者について~

キリスト教の教会には「求道者」と呼ばれる人々がいます。彼らは教会に通い、聖書を読み、キリスト教に関心があるが、いまだ洗礼を受けていない人々です。彼らをもクリスチャンに含める教会もあり、含めない教会もありますが、一般的には、洗礼を受けて正式…

あらためて「無」教会について~生けるキリストと野生のクリスチャン~

「また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。 夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。 地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実…

ゆるし

キリスト教は愛と「ゆるし」の宗教だといわれます。 しかし、キリスト教に馴染みのない人々は「許してしまったら、悪はどうなるのか?野放しにされた悪はますます増長するのではないか?」と疑問に思います。そこで、あるクリスチャンは「いや、許されるのは…

神の「完全」は十字架の「弱さ」によって啓示される

最近、あるメンタリストを名乗るインフルエンサーが差別的な発言をして炎上し、あらゆる方面から批判を浴びるという出来事がありました。 彼いわく、「ホームレスの命はどうでもいい」「ホームレスのために税金を使うくらいなら、かわいそうな猫のために税金…

キリスト教と政治~生産性は悪か?~

前回のブログで、「生産性」への信仰が現代の偶像崇拝となっていることを書きました。 しかし、では生産性は悪なのでしょうか? 次のような反論が考えられるでしょう。「生産性が悪ならば、企業はどうなるのか? 生産性を上げて価値を生み出し、業績を上げる…

精神障害、発達障害などの「障害」について

いつの時代、どこの場所でも、普通と違った変わったことを話し、変わった振る舞いをする人々はいました。 彼らは「変わった人」としてコミュニティから浮いた存在ではありましたが、多くの場合にはコミュニティのなかで立ち位置を得て日常の風景のなかに溶け…

「わたしの隣り人とは誰か」

「すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。」(ルカ福音書10:29) キリスト教は一般的に隣人愛の宗教と呼ばれます。その意味で、社会で起こる貧困問題や悲劇に対して無関心ではいられま…

原罪~正しい者はいない。ひとりもいない~

「原罪」というのは、人間は産まれつき悪を内包しており、自分の意志に関わらず罪を犯すことから逃れられない存在だという意味です。 もちろん、ここでいうところの「罪」とは、政治的な法に関わる罪ではなく、宗教的、倫理的な罪のことです。 人間には「自…

キリスト教パリサイ派

新約聖書において、神の国は婚宴や宴会などにたとえられます。それは喜びの時なのです。 「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負…

キリスト教と民主主義~神の絶対性~

私たちが知っている民主主義は西欧から始まりました。それも、とりわけ「神の絶対性」を強調するカルヴァン派の流れから始まりました。 なぜ、「神の絶対性」という「唯一神の独裁」を思わせるようなことが、民主主義を押し進めてきたのでしょう? これは歴…

キリスト教と民主主義~聖霊の口を封ずるなかれ~

「すべての人は平等」というのは、私たちにとって当たり前の真理であり、規範です。しかし、これはキリスト教の歴史のなかで生まれ、育てられてきました。 もちろん、歴史をみればキリスト教の国や文化のなかでは人種差別、性差別、奴隷制があったことは事実…

キリスト教と同性愛

同性愛に否定的なクリスチャンは、その根拠を主にパウロの手紙と旧約聖書の一部から引用します。聖書が神の言葉だからという信念からでしょう。 たしかに、パウロの手紙には男色への批判がいくつかみられますし、ユダヤの伝統では同性愛は禁じられていました…